レイングハンド☆イエスキリストと聖母マリアの抱擁による癒しと赦し
今日は母の日ですね。
昨日お花屋さんに薔薇を買いに行ったら、
どのお花屋さんもカーネーションばかりで(^^;)
「薔薇はないの~?」とつぶやきながら3軒もまわってしまいました。
結局最寄り駅のお花屋さんで無事薔薇をゲット。
さて、今日はレイングハンドというオプショナルメニューをご紹介します。
その前に、聖母マリアについて少し書きたいと思います。
2年前の母の日に、ブログに書いているのですが、
その日、地元目黒のカトリック教会の御ミサに与ったら、
神父様が母の日にちなんだお話をしておられました。
母の日だからといっても、生まれ育った環境によっては
母親に対して良い思いを持てていない人もいる。
そのような人のためにこそ
聖母マリアはすべての人の母として存在している。
そして、天の父も同じように全ての人の父として存在している。
そうやって、現実がどうであれ全ての人は父と母の愛を感じることができるのだと。
そういうお話でした。
わたしは信者ではないながらも
たまたまカトリックの教えには10代の頃から接していました。
しかし、聖母マリアをそんな風に考えたことはありませんでした。
幼い頃から家族になじめず
空だか宇宙だか、とにかくあっちにはみんながいるのに
地上ではひとりぼっちだなぁと思っていた私にとっては、
10代の頃マリアさまについて聞いても、
自分の母とは次元が違い過ぎて
とても引き比べて考えられるものではありませんでした。
それこそあちらの世界のこと。現実の母への対処で手いっぱい。
今では、父なる天、母なる地(マザーガイア)という感覚が
自分の中にどっしり根をおろしていて、愛されている感覚を感じます。
マザーガイアの母としての愛は、
わたしには、生きるとか、命に直結しているように感じられます。
マザーガイアの愛に接するとき、「生きていて良いのだ」という感覚がやってきます。
肉体をもって生きることに対する祝福のような。
こちらの方が生み育ててくれる母の感覚に近い。
それに比べて聖母マリアの愛は、
自分の中の、世界や全ての人や目の前の人に対する慈悲のような愛。
これはずーっと昔から感じていた感覚です。
レイングハンドとは、イエスキリストと聖母マリアの抱擁による
癒しと赦し、慰めのヒーリング。
感情コードのカッティングなどと同様に
単独ではお受けしていない15分ほどのヒーリングです。
個人セッションを受けにいらしたお客さまで
必要と感じた方や、希望される方にさせていただいています。
こちらに関しての施術料はいただいていません。
レイングハンドを受けてみたいと思う方は、
セッションご予約の際またはサロンにいらした際に
遠慮なくお申しつけくださいね。