美について
多くの人にとって
美とは外面の美しさのことです。
今日は、あなた方の
神聖な内面の美しさについて話したいと思います。
幼い子どもの美の基準とはどういうものでしょうか。
必ずしも外面にあらわれるものに限らず
ほんの幼い子どもにも
何かしら自分なりの美の基準があるということに
お子さんを育てた経験のある人なら
どなたでも思い当たるところがあるのではないでしょうか。
子どもは何を見てそれが美しいと判断するのか。
幼な子は美についてとても敏感です。
幼な子が美しいと感じるもの。
それこそが神聖な美。神の美です。
幼な子のように物事を見るということは
あなたが神の視点でものを見るということにほかなりません。
人間としての欲やエゴと結びついた心で
美を判断しようとしているとき
あなたは
人よりも美しく見せたいとか、周りを蹴落とそうとか
優劣に従って美の基準を決めているのです。
何かに勝つために美を獲得する。
自分の価値を周りに知らしめるために
より美しくなろうとする。
そのようなことは
あなたの生まれ持った資質である神の美とは程遠いものです。
あなたは生まれながらに美しいのです。
人という存在は生まれた瞬間からとても美しいものです。
それなのに
人間のエゴや価値観、人との優劣
それらによって美を判断するという世の中の概念によって
あなたがたは本当の美とは何であるのかというところから
遠く引き離されてしまっています。
いま、あなた自身の美という感覚を取り戻すときです。
美についての自分の持っている意識、余計な概念を一掃するときです。
本当は誰しも自分自身の美について知っているはずです。
けれども
こんなものは美ではない。とか
たかだかこれっぽちのことだ。とか
人は、外面に見えない美のことは恥じて隠してしまう傾向にあります。
自分が誰かよりも優位に立つために。
あなたの生まれ持ったその資質が
誰かよりも優位に立つことができるものでなければ美と認識せず
恥ずかしがって内側に隠してしまう。
そのようなことが往々にして起こっています。
自分自身の生き方において、自分が何を一番と考えるか、
そのような優先順位、自己価値感、自尊心。自分自身を信頼するか否か、
そのようなこととも関係があります。
あなたは美しい。
あなた方すべての人が自分自身の美しさに気づき
毎日自分自身に、例えば鏡に映った自分に
あなたは美しいと
(「わたしは美しい」でももちろん構いませんが)
愛をもって伝えること、
自分に対し優しい気持ちで伝えてあげることが必要です。
あなたが自分自身を美しいと本当に認めていない限り
その美しさは永久にあなたの内側に隠されてしまうからです。
ほんのちっぽけなものだ。と判断されて
あなたの内側に隠されてしまうのです。
あなたが恥ずかしいと思っているそんなにちっぽけなこと
それこそが実はあなたに与えられたとても大きな資質であり
あなた自身の美なのです。
人は、自分を磨くことによって美しくなるという感覚をもっています。
磨くことによって美しくなるのではないのです。
あなたはもともと美しい。
それなのに、
その美しさを隠すたくさんの術を身に着けてしまっているから
それが隠れてしまっている。
自分で隠してしまっているのです。
なぜ隠してしまうのか
人にどう思われるだろうか。
自分なりの美を表現しても
他人から比べられて叩かれてしまうのではないか。
あるいは逆に
自分なりの美の表現が人に脅威を与えるのではないか。というように、
あなたがたが美を優劣の対象としてみている限り
あなたは安心して自分自身の美を表現することができないのです。
美はあなた方人間に与えられたとても大切な資質です。
美しくない人間などひとりもいない。
男性であろうと女性であろうと。若かろうと年を取っていようと。
あなたがたは美に対しての感覚、概念というものを
本当に改める必要があります。
あなた方が美だと思っていることは、美のほんの一部にすぎません。
美というのは愛と同じように広大なもので、
あなた独自の美の資質とつながる、おおもとの美のエネルギーが
この宇宙いっぱいに広がっています。
豊かさが宇宙いっぱいに広がっているように、
美も宇宙いっぱいに広がっています。
宇宙に遍満している無尽蔵な豊かさから
いつでも必要な豊かさを受け取ることができるように
たくさんの美が常にあなたがたに降り注いでいて
いつでも受け取ることができるのです。
あなたが自分なりの美にアクセスする方法は、
自分自身を信頼し、慈しむこと。受け取るという意思をもつこと。
それがあなたなりの美を表現する近道となるでしょう。
女神マハシュリーより
☆神聖な神の美を体現して生きたいあなたにお勧めします☆
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