無題
昨日、子どもの頃からずっと
空を見上げては、
あっちが自分の居るべきところだ
と思ってきたと書いたけれど、
今日、瞑想していたら
でも本当はずっとマザーガイアにつながっていて
愛されていたんだな。と思った。
思い出される小学生の頃のたくさんの記憶。
1年生になったばかりの頃は、
休み時間ごとに
飽きもせず、校庭の銀杏の木の周りを、
ごつごつした根っこの上に乗っかって歩いていた。
そこらに転がっているブロックのかけらみたいなものを拾っては
地面に(土ではなく、コンクリートの校庭だった)
あれこれ描いたりしていたり、
手に残る階段の木の手すりの感触や
ワックスをかけられて滑りの悪い、木の廊下の感触。
中庭の池や、花壇や藤棚、ヘチマのつる。
子どもはみんな地上にやってきたばかり。
木や花や土に見守られて育つ。
みんな、マザーガイアに受け入れられて
肉体をもつことを許されたんだ。
そんなことを考えた。