大切にしたいもの
Auroraのセッションルームには
祭壇があって、四大元素に関係するものを置いています。
キャンドル、お香、お花やクリスタル、カップ(聖杯)などですね。
それ以外には、エッセンシャルオイル、タロット、セッションに使用するツール等々。
大天使ミカエルが悪魔を踏みつけている像も置いています。
ここらは趣味の問題。
セッションには祭壇が欠かせないので、
よそのお宅などに出張させていただく際にも
簡単な祭壇用のグッズは必ず持って行きます。
さて、セッションの最中には
キャンドルに火をつけ、ほとんどの場合お香を炊きますが、
時おりお客様で
お香の燃えかたやキャンドルの燃えかたを気にする方がおられます。
「さっきからキャンドルの炎が
大きく揺れているけど、何か意味があるんですか?」とか
セッション中に、お香が燃え尽きるのを見る場面で、
(通常の炊きかたとは違って、直接火をつけて燃やすんですが)
「お香がなかなか燃えなかったり、途中で火が消えたりしていましたけど
あれはどういう意味だったんですか?」
などお尋ねになるんですよね。
そういう場合、私が
「そうですね。エアコンの風の向きですかねぇ」とか、
「この時期湿気が多いから、燃えにくいのかしらね」とか答えると、
安心する方もいらっしゃる一方で、
残念な顔をなさる方が少なからずいらっしゃいます。
何か特別なことを言って欲しかったりするわけですね。
「キャンドルの炎が大きく揺れているのは、
いま存在がやってきているからです」とか、
「お香がなかなか燃え尽きないのは執着が強いからです」とか
「相手の方の念が強くてなかなか燃えなかったけど、
もうすっかり燃え尽きたから大丈夫ですよ」とか
「今日のセッションはなかなか大変でしたね。キャンドルの揺れにそれが現れてましたね」
などと私が言えば、満足されるのかもしれません。
実際そんな風に言うセラピストは多いのだと思います。
なんか、見えないエネルギーのことがわかってるみたいで格好良さげだし
ドラマチックに演出した方が、セッションでさも凄いことが行われたみたいだし。
そのセラピスト自身が、そういうものに意味を感じて、自分の感じたものに
絶対の確信を抱くタイプなのかも知れないし。
そして、そのことで、
お客さま側も
「すごいことをやってもらったんだ!」
と有り難い気持ちになるのかもしれない。
でもね、たとえそうだとしても
私はそういうもっともらしいこと言うの好きじゃないんですよ。
もちろん、セッション中に
キャンドルやお香が反応することそのものは
ないわけではないですよ。
瞑想会の最中、エネルギーをがんがんに降ろしていると
ピシッ!っていうラップ音のような音が何度もなったりすることもあるし。
キャンドルが曇ったり、
私自身がめまいや吐き気に襲われたりすることだってある。
でも、だからといって、
敢えてそれを伝えて、
「あのままにしておいたら大変だったけど、私が何とかしてあげました」
みたいな感じにするの、好きじゃないんですよ。
それが本当にそうだったかなんて、
誰にわかるんだろう?と思います。
自分の思い込みでドラマを作ってしまったり
エゴが出てきたり。
どこまでが本当のことで、どこまでが自己満足なのか。
見えない世界のことに関して
私たちの脳はまだまだ全然開かれていない。
五感も、直感(五感の一部ですが)も
そしてマインドも。
私たちは平気で自分自身に嘘をつき
自分を騙します。
自分の感じたことに絶対の確信を抱いてそれを口にすればするほど
自分の中のエゴの部分に近づいていく。
そんな風に私は思います。
お客さまを自分のエゴのドラマに巻き込まない。
神聖なエネルギーを手垢のついたものにしない。
見えない世界のことを扱っているかぎり、
どこまで行ってもそこは注意深くありたいと思っています。
宇宙や天界の純粋なエネルギーを
でき得るかぎりそのまま
純粋な形で降ろすこと。
それが私の願いであり
自分に課した使命でもあり、
自分に与えられた特性だと思っています。
まぁ...
商売っけないんですね。とか
福本さんって普通ですよね(良い意味でだそうです)
と言っていただいて
複雑な気分になることもあるんですけどね(^-^;