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スピリチュアルの目覚め (前編) ☆ それは正体不明の湿疹から始まった。

2019.08.15 木曜日

断捨離をしていて、出てきた昔の資料の中に
2003年にオーラソーマの上級クラスを受講するにあたって
課題として書いたエッセイがありました。
タイトルは
「わたしはいかにしてオーラ・ソーマと出会うに至ったか」

この中には、私がどのようにして現在の道に至ったのか
アデプトプログラムを受講するよりずっと以前のことが
赤裸々に、そして正直に書いてあります。
以前から、時折この文章を読み返すたびに、
いつか公表しようかなと思っていました。

 

この文章を書いたときはまだ、
いわゆるニューエイジにはまっている状態で、
真のスピリチュアルな学びというものがよくわかっていませんでした。

けれども、
毎日を死にそうだと思いながら暮らしていた自分が
少しずつ本来の状態を取り戻していく
その最初の過程が書かれていること。

かつての私にとって、オーラ・ソーマが
ひとつの通過点として、大きな意味を持っていたこと。

それらの過程すべてが、
「自分が何者であるかを知り、本来の自分自身を表現して生きる」ための
第一歩であり第2の誕生日である
アデプトイニシエーションへの準備期間となったこと。

さらには、
母との関係性と離婚という2つの事柄に対して、
正面から向かい合う勇気をどのようにして得たのか
について触れていること。

そのような理由から、この機会に
このブログに記載しようと思います。

 

もう必要ないなと思う部分は省きつつ
文章そのものはいじらずに原文のまま記載します。

まぁまぁの長さなので2回に分けることになると思いますが
興味あればお付き合いください。

 

 

私はいかにしてオーラ・ソーマと出会うに至ったか

 

オーラ・ソーマを受講している生徒には
さまざまな方面からやってきた人々がいる。

例えばわたしが受講した初級のクラスには、
いわゆる色彩という面からカラーを勉強している方々がいた。
ほかに化粧品会社、会社の広報、あるいは、
中級のクラスに多かったカイロプラクティクスやエステ、
ブライダルのお仕事の方々。
また一方では、アートセラピーや、
数秘学やタロットを勉強している方。

その千差万別の職業をみて、
色というものの捉えかたは実にさまざまなのだと思った。

 

そうした中で、わたし自身はおそらく、
こういう言い方が正しいのかどうかわからないが、
「スピリチュアルな」方面から
オーラ・ソーマに辿り着いたのだと思っている。

その理由は、
オーラ・ソーマのカラーセラピーをカウンセリングの一種として認識し、
説明会に参加したわたしが驚いたことには、
それ以前の2年ほどの間にわたしが本で読んだり、
実際に見聞きし体験した、
巷ではニューエイジと呼ばれている考え方、
それら全てと関連する事柄がそこに、オーラ・ソーマの中に
あったからである。

 

アトランティス、レムリア、前世。
それらは、子供の頃から何故か心惹かれて本を読み漁り、
その存在についてまったく疑いを持つことのなかった事柄である。

魂、アカシックレコード、天使、
アセンション、アーユルウェーダ、その他色々。
この2・3年間、
わたしはそれらのことについて書かれた本を読み漁っていた。
そして、どの本も結局は同じことを言っているのだと
気づいたところだった。

わたしたち人間がどこからやってきて
どのような方法で文明を作ってきたのか、
魂というものに対する認識、
エネルギー体としての人間、宇宙との関わり等。

そして、オーラ・ソーマに出会い、また思ったのだ。
「つながっている」と。

 

 

結婚して5年目の2001年。
その年は、前の年の秋ごろから出始めていた
正体不明の手指の湿疹の悪化による皮膚科通いから始まった。

右手だけにできる
痒くてたまらない細かい水ぶくれの寄せ集まり。

硬くなってひび割れ、血が出てしまい、
皮膚科に行って塗り薬をもらって二日、
今度は顔から足まで全身にじんましんが発生。

リンパの流れに沿うように
それは次から次へと出るのだった。

 

もともとわたしは仕事をしていた20代の頃、
少し無理をすると、
身体のあちこちに虫刺されそっくりの
痒いぶつぶつができたり、
唇が腫れ上がったりするたちで、
医者によると、それらはみな蕁麻疹の一種だということだった。
しかし、今回はあまりに症状がひどかった。

 

何故それが起きたのか、
わたしには大体予想がついていた。
精神的にいっぱいいっぱい、追い詰められた状態だったのだ。

前年から肉体的にも尋常でない疲れを感じており、
整体に通っていた。

あの頃のわたしは、毎朝起きると
「疲れた。死んでしまいそうだ」と思いながら、
ベッドルームからリビングに向かう階段を、
両手両足を使って昇っていた。

 

「肉体と精神はつながっているに違いないのだから、
きっとこれはわたしに対する何かの警告だ。」
そう思っていたのだけれど、

どのように対処したらよいのか、
どのあたりから手をつければよいのやら
皆目見当がつかず、手をこまねいていた。

 

結婚して2年ほどたった頃から、
わたしは、カウンセリングを受けてみたいと
思うようになっていた。

ちょうど世の中では
テレビドラマ等で心療内科が取り上げられ始めた頃だった。
しかし、わたしのように
「普通に」「問題なく」暮らしている者が
心療内科なんぞに通ってよいものだろうか?

 

わたしが、カウンセリングを受けたいという考えを
すぐに思いついたのは、
大学時代に人格心理学を専攻して
カウンセリングについて勉強していたためだと思う。

その頃のわたしは、
自分の中にある、母との問題について
カウンセリングに通ってみたいと思っていた。

母との関係については、
あまりに色々な歴史が絡み合っているように思え、
自分だけでは、絡み合った糸をほぐす糸口が
つかめないと思ったからである。

 

いや、それだけではない。
いま心の中を正直にのぞいてみると、
そこには被害者意識というものがあった。

わたしは母の子として生まれ、母に育てられたのであるから、
生まれながらに置かれた環境に
順応しようと努める以外に方法がなく、

わたしがこのように悩む羽目になったのは、
自分のせいではなく母のせいであると思っていた。

わたしは誰かに、専門的な人に
「お母さんが悪い」という
お墨付きをいただきたかったのだ。

 

そうはいっても、
カウンセリングを受けたいと漠然と思うことと、
実際に事を起こすのとは
わたしにとってまったく別の次元の話だった。

自分の中にある
母との関係についての問題を解決しなくては、
この先一歩も前に進むことができないのではないか
という思いを抱きながらも、
1年2年3年と時は過ぎて行った。
心が肉体的な悲鳴となって音を上げるまで。

 

 

「魂の伴侶」という本を
書店でよく目にするようになった頃のことを良く覚えている。

子供の頃から書店が好きだったわたしは、
週に一度くらいの割合で、
書店で1時間以上かけて、背表紙を
端から端まで眺めるというのを
息抜きのひとつとしていた。

しょっちゅう目に入ってくる、
どうしても目が行ってしまう本というのはあるもので、
「魂の伴侶」もそうだったのだが、
手に取ってみようとはしなかった。

ソウルメイトについて書かれた本なんだろうなあ
と思いながら。
ついに購入したのは文庫本になってしばらくしてからだった。

 

「魂の伴侶」の中には
大変興味深く思われる点がいくつもあったのだが、
その中で、目からうろこが落ちるような気がしたのは、
子どもの方が、親を選んで生まれてくるという点だった。

わたしが両親の元に、
わざわざ選んで、好き好んで生まれてきた!
そうだったのか、よくドラマなどで使われている
「好きで生まれてきたわけじゃない」という台詞は
使えないものだったのか!

 

やれやれ参ったな。というのが感想だった。

全ての現実は自分が作り出している。
なるほど。

自分が抱いている
母や兄に対する怒りや恨みといった気持は、
自分が忘れていた過去や、
過去生から持ち込んだものかもしれない。
追体験することで、
自分では到底ほどけないと思っている
こんがらがった糸の塊がほどけるかもしれない。

そう思った。

 

それからのわたしは、
その本の訳者である山川ご夫妻のホームページを見るようになり、
メールマガジンを購読するようになり、
お二人が訳した本や、紘矢氏の書いたエッセイを読み漁り、
「魂の伴侶」著者である、ワイス博士の講演会を聞きに行き、
とまあ、言ってみれば一気に精神世界フリークとなってしまった。

そしてとうとう、
お目にかかったこともない山川さん宛に、
厚かましくもヒプノセラピストを紹介していただきたい旨の
お手紙を書くに至ったのだった。

 

2001年10月、
山川亜希子氏から送っていただいたリストの中から
わたしが選んで受けてみることにしたヒプノセラピーは、
2ヶ月に1度ずつ3回受けるというもので、

せっかちなわたしは実に物足りない印象を受けたものであったが、
その3回が3回とも、なかなか興味深いものとなった。

期待していた過去生のビジョンはほとんど出てこなかったし、
実際の母や兄との体験のビジョンも、まったく出てこなかったけれど。

ここに記そうと思うのは3回目、最終回での体験である。

 

階段を下りて、
これと思う部屋のドアを開けると、
部屋の正面奥の光射す窓際に誰かが立っている。
逆光になっていて顔はまったく見えないのだが、
近づいてみるとその人は寸分たがわぬ格好のわたし自身である。

向かい合うその人がわたしの髪を撫で、顔を撫で、
そしてわたしたちはお互いに手を伸ばして抱き合う。
その、もう一人のわたしが、
わたしの胸の辺りから何かを引っ張り出し撫でている。

ピンク色で柔らかくふわふわしている物体で、
見るとそれはわたしの心臓、ハートなのだった。

 

 

風船のようにふわっと宙に浮かべると、
ハートは自分で
楽しそうに部屋の天井付近まで飛んでいってしまう。

ハートが言うには、
「あー浮かんでいるのは楽ちん。開放感があって。
しばらく勝手に遊んでいるから、わたしのことは放っておいて。」
そして鼻唄など歌いながら、
そこら中をふわふわと飛んでいるのであった。

そこでわたしたちはハートのことは放っておくことにして、
二人で楽しくダンスを踊る。

 

別れ際、何かわたしに言ってくれることはないのか聞いてみると、
その人は、
自分を信じること。
不安を感じるならその不安を振り払おうとするのではなく、
いまはしっかりと味わうことだと言う。

「あなたには勇気があるし、いつだって最後には開き直って
結局は自分のしたいようにするのだから、
わたしはあなたに何かを特に教えてあげるつもりはない。」
などと、突き放すようなことを言う。

同じ問いをハートにしてみると、
こちらの返事は、
「いつも胸の中にいると窮屈だけど、むずむずしてきて、
いまは楽しい。
これからは時々自分で引っ張り出して、浮かべて遊ばせて欲しい。
取り出そうと思えばちょっと想像するだけで、いつだって取り出せるのだから」
というものだった。

(後編へ続く)

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