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スピリチュアルの目覚め (後編) ☆ハートが語ったこと

2019.08.15 木曜日

この文章は、
スピリチュアルの目覚め (前編) ☆ それは正体不明の湿疹から始まった。
の続きです。

 

ヒプノセラピーと前後して、わたしは一人の男性と再会した。
彼は以前、彼の仕事の関係で知り合った人なのだが、
仕事で会うたび、二人でお茶を飲みながら
ついつい長々と話が弾んでしまう間柄だった。

その後、彼はその仕事を辞め、
我々にはまったく接点がなくなってしまった。
わたしは彼のことがずっと気になっていたのだが、
何と言っても仕事という接点がなくなってしまっては口実もなく、
連絡できないでいた。
「変に思われるのではないか」と思っていたのだが、
ある時、意を決して電話してみたのである。
最後に会ってからほぼ一年半が経過していた。

 

「魂の伴侶」を読んでいなかったなら、
おそらくわたしが彼に電話することはなかったと思う。

こんなに気になるのだから連絡してみよう。
変に思われようが構わないではないか。
いままで
また会いたいと思ったにも関わらず、もっともな理由がないために
躊躇って連絡しなかったがために、疎遠になってしまった何人かの人々。
今度ばかりは絶対にそんなことは嫌だ。
そう思い、一歩を踏み出してみようと思ったのである。

 

そしてある日彼が家にやってきた。

仕事を辞め、とりあえず一年間好きなことをしようと思い、
写真の学校に通ったりしていたそうである。

お互いの近況など話しているうちに、
わたしの写真を撮らせて欲しいという話になり、
わたしが不承不承了解した途端、
常時車に積んでいるという三脚だの反射板だの
ご大層なカメラだのが引っ張り出され、
なにやら大撮影大会が繰り広げられることになってしまった。
これが始まりだった。

 

写真を撮ってもらったのはもちろん初めてではない。
いわゆる成人式などの写真ではない写真を
プロにスタジオで撮ってもらった経験もある。
しかし、この日の写真撮影は
それまでとは何かが決定的に違っていた。
とても気持ちが良かった。
それは官能を刺激されるような種類の快感で、
随分久しぶりに感じるものだった。

昔同じような快感を覚えたことがある。
小学校2年生から中学3年生まで出演していたミュージカルの舞台で、
拍手とともに緞帳がおりるあの瞬間。

ファインダーを覗いていた彼の方も、
ある瞬間からわたしの顔があまりの変貌を見せていったことに、
実は内心相当驚いたと、あとから言っていた。

 

 

このようにして、
わたしたちは徐々に距離を縮め
親しく付き合うようになっていったのだが、
得たものが大き過ぎて、少しばかりわたしの手に余るようだった。
不安だった。色々と考えざるを得ないことが多かった。

彼が男性だから、お互い結婚しているから。
だからどうだというのだと思う一方で、
実際問題として、彼とのことを夫に話すことはできなかった。

 

我々の関係がどういうものであれ、
そこに決定的なものがないにせよ、
夫はきっと嫌な思いをするだろうという確信があった。

合理的な理由(仕事の関係など)がない以上、
我々の心の結びつきなど、
説明しようとすればするだけわかってもらえず、
不愉快な思いをさせることは間違いないと確信していた。

 

かといって、
夫の気持ちを慮って彼と会うのをやめることなど
到底できないと思った。
この人との付き合いが自分にとって間違いなく必要であるという
自分の心の声に耳を傾けないことなど、
もはやできないとわかっていた。

ただ自分が会いたい人に会う。必要だと思う人に会う。
それだけのことなのに、
どうしてこんなやっかいなことになってしまったのか。
何かが決定的に変わってしまった事に気づき、
わたしは愕然としていた。

 

母と兄との関係に焦点を当てるべく
ヒプノセラピーを受け始めて2回。
3回目を受ける前に彼に会ったことと、
3回目に見たビジョン。

自分自身の内側との関係に焦点を当てるためには、
結婚生活についても良く考えてみる必要があった。
わたしが守りたいものは何なのか。
わたしが最も恐れていることは何か。
勇気を出して事実を真実を洗い出さなくてはならない。

 

そして思い至ったのだった。
いままで自分が見たくなかったもの
認めたくなかったこと。
結婚当初から、見ないようにして
心の奥にしまいこみ蓋をしていた事柄。

引っ張り出して言葉にしてみた。
ああそうだったのかという安堵感とともに味わう
崩れ落ちるような敗北感。
離婚する以外の選択肢は既にないことを
私は思い知った。
こうなったらもう笑うしかないのだった。

でも、それを引きずり出し、
彼に語ったことでわたしは救われたのだと思う。
やっとここまでたどり着いたのだという思いが強かった。

 

それまで一年以上続いた原因不明の湿疹と蕁麻疹がピタッとおさまった。
あれからもうすぐ2年が過ぎようとしているが、
その後一度も同じ症状が現れたことはない。

ちょうど治る時期が来ていたのかもしれない。
偶然同じ時期に治ったのかもしれない。
いや。偶然など、ない。

2002年2月が終わろうとしている頃だった。

 

 

ヒプノセラピーの一回目を受けたとき、
泣いてしまってなかなか進めなかったわたしに
セラピストはクラニオセイクラルを勧めた。

クラニオセイクラルというのは
脳骨髄液の流れを整えることによって自己治癒力を高めるという
ボディワークの一種である。

 

わたしはこのワークをオーラ・ソーマに出会う直前まで、
結果として一年以上続けることになった。
こちらもまた次々とビジョンが現れてきて毎回なかなか面白く、
数々の気づきがあったのだが、
わたしにとって非常に新鮮に感じられたのは、
身体の声を聞くという点にあった。

毎回、横になった状態でまず初めに言われることは
「横になっている自分の身体をちょっと感じてみて、
いま一番OKだと思われる体の部分はどこか教えてください」
というもので、
最初は何のことかさっぱりわからず当惑して口ごもってしまったものだ。

 

ワーク中、横になって
ただ後頭部や仙腸骨に手を当てられているだけなのに、
何故か身体のあちこちが痛くなったり苦しくなったりする。
わたしの場合特に顕著に現れたのは喉で、
喉はコミュニケーションや自己表現のチャクラだと教えられ、
なるほどと思った。

子供の頃眠っていると、
突然動悸が激しくなってパニックのようなものに襲われ、
目を覚ますことが度々あったこと。
最近は時々昼間動悸が激しくなることがあって、
それを自分で「心臓が口から出そうになる」と称していたこと。

それらの事をわたしから聞いたセラピストは笑って言った。
「だって福本さん。ヒプノセラピーの時ハートから、
たまには引っ張り出して遊ばせてって言われたんでしょう?
つまりハートが出たがっていたってことじゃないですか?」
なるほど。そうだったのか!

 

今後はハートを遊ばせてやらなくてはならない。
いままでは過去のわだかまりを解くためと称して、
何か外から与えられる指針のようなものを求めていたけれど、
これからは、
そういう他の力を頼みにして過去を掘り起こすのはやめにして、
他人にどう思われるかにこだわることなく、
自分を大切にすることを考えよう。

自分の心の声に耳を傾ける勇気を持つようにしよう。
自分の直感を信じて、自分がしたいこと、
楽しいと思えることをしよう。そう思った。

しかし、問題は、
自分が何をしたいのかがわからない。
ということだった。

 

けれども、月に2回このワークに通って、
毎回次々と出てくるビジョンを見続け、
夜見る夢にもより一層注意を払うようになり、
自分の心の動きと身体の声に耳を傾けるようになり、
わたしは少しずつ回復していった。
行きつ戻りつではあったけれど。

少なくとも、立ち止まる気はなかった。
何が心に引っかかってくるのか、
アンテナを張り巡らせつつ足踏みをしていよう。
村上春樹さんが小説に書いたように。
音楽がなっているあいだはダンスステップを踏み続けよう。
やろうと思ったことは何でもやってみよう。

 

5月、わたしはヴァイオリンを始めた。
心の中に渦巻く言葉に表すことの難しい様々な感情を、
声の代わりに音にするものが欲しかった。
長年やってきて結婚前にやめたピアノに比べ、
ヴァイオリンの音は非常に人間の声に似ている。
子供の頃からヴァイオリンに惹かれていたけれども、
既にピアノを始めていたわたしは、
同時に二つの楽器の練習などとてもできないと思って諦め、
諦めたことすら忘れていたのだった。

ヴァイオリンをあごの下に挟んで演奏すると、
喉にビリビリと共鳴して心地良く、
いつも何かかきたてられるような気持ちになる。

 

 

8月、3週間アメリカのボストンに行くことになった。
夫が2ヶ月間、語学留学することになったことと、
わたしの幼馴染がご主人の仕事の関係でそちらに居り、
以前から遊びに来て欲しいと言われていたためである。

往復は一人旅。
ボストンでは、週末は夫と過ごし、
平日は友人と小旅行という極めて忙しい3週間だった。

 

幼い頃からのお互いを知り尽くしている我々だったが、
学校が同じだったわけではなく、
特にものすごく馬が合うという間柄ではなかったではなかった。
それでも35年間のうち、
何年か遠ざかっている期間も度々あったものの、
会えば何も隠すことなく語り合える友人なのであった。

今回は、お互いの現状についての話もさることながら、
お互いのごく幼い頃の話も多かった。

 

我々の母は、二人比べるとなんとも両極端な人たちで、
わたしも彼女もそれぞれ母親との関係ではいつも頭を悩ませていた。
幼い頃からいつも二人で話していたものだ。
「あたしたちの親って、足して2で割るとちょうどいいんだけどねぇ。」

二人ともはっきりとは口に出さないものの、
お互い母親との関係を、未だに解決せねばならない問題として
捉えていることは間違いなかった。

 

幼い頃の出来事で、
自分にとってひどい目にあったと認識している出来事というのは、
大人になってから思い出すと、
その記憶が本当に正しいものなのか、
或いは自分が幼かった故に
勘違いでそう思い込んでしまっただけで、
本当はそれほどでもなかったものなのか、
そのあたりが、出来事から年数が経てば経つほど
曖昧になるものではないだろうか。

 

ところが二人で話してみると、
それぞれが自分にとっては日常茶飯事であったために、
忘れてしまっていたことであっても、
傍から見ると驚くべきことであったりして
良く覚えていたりするもので、

こういうことがあったね。
ああいうことがあったよねと話していると、
それぞれに忘れていたことを補うことができ、
自分たちが当時どのような状況に置かれていたのか、
改めて客観的に眺めることができた。

「わたしたち、結構厄介な目にあってきたよね。
でも良くこんなにまともな大人になったよね。
自分で自分を守ってきたよね。」

それが二人の結論だった。
わたしたちはよくやってきたのだ。

 

 

いま思うと、
あの旅は、過去に区切りをつけ
打ち止めにするための旅だったのだ。
わたしにとっては、夫との関係について考える旅でもあった。
帰りの飛行機の中で日記のように記した覚え書きの出だしは
このような一言で始まっていた。
「いずれ、何らかの仕事をしようと思った。」

 

さて、音楽がなっている間は踊り続けることにし、
家庭以外に自分が自身の拠って立つところを見つけなくてはならない。
わたしに何ができるのか。
職業に活かすことのできるわたしの能力は何か。

いやいや、能力とやりたいこととはまた別の話だ。
などと、深く深く考え続けていたわたしは、
突然、きわめて短絡的なことを思いつく。
「世の中にはいったいどういう職業があるのだろうか。」
調べてみなくちゃ!

そして購入したのがリクルート社の出している雑誌である。
確か、いろいろな職業についている女性が
どうしてその仕事を選んだのかについて書いているものだった。
そこにオーラ・ソーマが出ていた。
「カラーセラピー。オーラ・ソーマについては、
ボトルを選んで、その選んだ色から自分のことがわかる
ものだということくらいは知っていたけれど。
そうか、カラーセラピーなのか。」

これが、わたしがビタミンカラーズのホームページを見たきっかけである。

 

いまわたしの傍らには104本のボトルが並んでいる。
いつもわたしを見つめてくれているように感じられるボトルたち。
まさか上級の講座まで受けることになろうとは思わなかった。
将来カラーセラピストとして仕事をしてもしなくても、
オーラ・ソーマとの出会いが、
わたしにとってのひとつの転機に過ぎなかったとしても、
力強くも美しく愛しいボトルたちに出会えて
わたしは幸せである。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

エッセイはここで終了です。
この後、
2003年にオーラ・ソーマ初級~上級を受講。
2004年にラディアンスの
「ライト・ボディーの覚醒化」シリーズを受講。

2002年に離婚を決意したものの、
自分の中でこれというものがないままに
いま離婚してもどうにもならないと思い、
アンテナを張り続けて3年。
夫の実家に行くたびに、
これで最後かもしれないとと思いつつ月日は流れ。。

2005年のお正月。
「今年だ!」と思ったのです。
そして2月初めに夫に切り出し、
その矢先に受けたDNAアクティベーション
そしてアデプトプログラム受講。現在に至っています。

 

 

私は様々なセラピーやスピリチュアルなセミナーを
あれこれ受けてから、
DNAアクティベーションを受けることで
イニシエーションに導かれて。
結構、じっくり型だったなぁと思っています。
じっくり考えていた挙句に、
今だ!と思った瞬間に、まずちゃぶ台をひっくり返して
退路を断ってから次に進む。みたいな。

自分の育ち方に問題あり、苦しい
と思っていたからこそ、どうにかしなくちゃと思って
あれこれ門を叩きましたし。

そのくせDNAアクティベーションは、最初
受けてみたい!と思いつつ、怪しそうだと思って
二の足を踏んだんですが。

 

でも、DNAアクティベーションやアデプトは
本当は「私は何にも問題ないわ~」と思っている人にこそ
受けてほしいんですよ。
可もなく不可もない人生なんてないからです。
「ごく人並みに幸せです」なんてね。

そんな風に考えている方がいたら、
それはとても、もったいないことだと思います。

「あなたの最高度の可能性を達成する」ことを可能にする
DNAアクティベーション
アデプトプログラム
キングソロモンロモンヒーリングモダリティその他
様々なヒーリングツールがあります。

 

自分自身を最大限に生かすことが
あなたにとっても家族にとっても
これまでとは比べものにならないほどの幸福感と
豊かさをもたらしますよ。

 

長~い文章にお付き合いいただきまして
有難うございました。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

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