ヒーラーの視点~もうすぐヒーラーズ・アカデミー
まもなく5月2日から、モダンミステリースクールで
ヒーラーズ・アカデミーが始まりますね。
アデプトの皆さま
ヒーラーズ・アカデミー1に参加して
セカンドイニシエーションを受ける心の準備はできましたか?
私がヒーラーになったのは2006年。
アデプトプログラム受講中にRMという存在を知って、
私はそのRMとやらになるんだな。と思ったけれど、
そのためには
ティーチャープログラム(当時)を受けなきゃならないというので、
そーなんだ~
と思って受けたので(^^;)
そしてその10日後くらいにRMになって、
トレーニングが始まり
怒涛のように人生がめまぐるしく変化したので(^^;)
ヒーラーになった感慨なんて全くなかったのが正直なところです。
でもね。
ヒーラーになってしばらくして、
あるところでセラピスト養成講座みたいなものを受けたとき、
「何故、なんのためにヒーラーをやるのか」
と自分に問いかける場面があって。
そのときに思ったのですよ。
私は小さい頃からずっと
人間ってさっぱりわからないと思っていて。
「なんでこんなところ(地上)で独りぼっちなのかなぁ
あっち(空とか天とか宇宙とか)にはみんないるのに」
って思っていて。
人間というものをよく知りたいと思っていたから、
ヒーラーになって
目の前に座るその人の、その人独自の物語を知りたいから
ヒーラーをやってるんだなぁ。と。
たくさんの人の物語を通して
人間というものを知りたいというのが、
ヒーラーとしての根底にあることに気づいたのですよ。
なんていうか...自分のため?
世界を、人類を救いたいなんてことを、
何故か子どものころから思ってきたけれど
(とはいえ、そんなアニメみたいなことは起こるわけないと思っていたけれど)
目の前の人を救いたいなんてことは
まったく思っていなかった。
そんな私がヒーラーになって思うようになったのは、
アデプトでは
「私は誰か」というのがテーマで
わたし、というところにせっせと取り組むと
その次は、
私 → 私たちっていう視点に取り組むことになるんだなってことで。
それは、
私というフィールドが拡大していって
そうすると、そのフィールドの中に
目の前の人も迎え入れるようになって、
そうやって、いつしか
私は実は私たちなんだ。と気づいたような、
そんな感じ。です。
人に何かを伝えたいと思うとき
自分の内側のものを何かの形で表現しようとするとき
そこには必ず
私たちという視点が入ってくる。
そうでなければ、何の創造も生まれないよなぁ...と、
最近、身の回りのたくさんの方々のおかげで
気づくようになりました。
ヒーラーになってDNAアクティベーションができるようになったら、
もちろんDNAアクティベーションは
他には全くないような素晴らしいツールなので是非使ってほしいけれど。
それでも、その手前にある
何故ヒーラーになるのかという選択肢には
たくさんの個人的なことがあってよいと思う。
結局のところ
その個人的な選択肢を全うしようとしたとき
自分らしくあるとき
自分の内側を表現しようとするとき
何かを創造するとき
そこには絶対的に私たちという認識が必要であって
ヒーラーになることで
その認識をより深めることができるのではないかと思います。