自分の中のファンタジーを受け入れる・大切にする
天使って、いると思いますか?
フェアリーは?エルフは?
ドラゴンは?
アデプトプログラムでは、そんなお話もします。
それらの存在たちは、私たちが本当は何者なのかという話と
密接に関わっているからです。
私の知り合いに、小さい頃お花と会話できたという方がいます。
毎日幼稚園に通う途中の道に咲いているお花と話をしていて、
でも、ある日突然お花の声が聞こえなくなった。と。
もう話をしてくれなくなっちゃったのか・・・と
悲しくなったその日のことをよく覚えていると言っていました。
どうして、思い出したようにそんなことを書くかというと、
今朝、目を覚まして周りに意識を向けたら、
天使やらフェアリーやらがたくさんいるような感じがしたからです。
その感覚は、空間としての周りにいるように感じるというわけではなく、
何というか、想像として
取り囲まれている気配のようなものを感じるという感じです。
ついでに自分がたくさんのお花に囲まれているような
お花畑にいるようなビジョンも見ました。
別の次元の自分なのかなぁ
ここにいながら、同時にもうひとつ別の次元にも存在しているようだし・・・
なんて思いました。
人間は多次元の存在だなんて言われてますからね。
もう一人の自分は、ここではないのどかで静かな場所で、
お花畑でフェアリーや天使なんかと一緒に過ごしているのかなぁ・・・と。
お花畑で思い出したのは、
ハウルの動く城の1シーンです。
ほら、ドアについている何かを(何だったかな)回してドアを開けると
外は街だったり草原だったりっていうシーンがありましたよね。
それからもうひとつ思い出したことは
10年くらい前、過去生の退行催眠を受けたときに見たビジョンでした。
そこは石造りの神殿のようなところで、私は白い服を着た巫女みたいな存在で。
石の床にぺったり座っていて、
目の前の床に大きな石板があって。
その石板を読み解くように手をかざすと、石板から強烈な黄金の光がばーっと出てきて、
それは本当にもう、魅入られてしまうような鮮烈な感覚、
喜びのような、憧れのような、圧倒的にありがたいような。
そんな風に感じました。
どうやら、石板から光を出させる=読み解くのが、そこでの私の仕事のようで、
石板の光が収まったところで、近くに立っている神官みたいなおじいさんに
「終わりました」っていうと、その人が、
「よろしい。あちらに行って休みなさい」と言って。
立ち上がった私は、自分が結構疲れていることに気づくんですが、
神殿の外へ出ると、そこにはお花畑があって、
そこに寝っ転がると、お花たちが意志をもって私をチャージしてくれる。
そんなビジョンでした。
記憶とも違うそのビジョンは、しかし強烈な自分自身の体験であったかのように、
ありありと思い出されるように感覚が蘇ってきます。
そういうのって、どう思いますか?
それらはただの幻想=ファンタジーなんでしょうか。
朝起きたら天使やらフェアリーやらが周りにいっぱいいる気がした。
こうやって、いつも周りにはいろんな存在がいて、
私が気づいていようがいまいが、いつも一緒にいるんだなぁと思った。
どうです?
そういうの聞かされたら内心ドン引きする人いるでしょうね。
いくら想像力豊かって言ったって、子どもじゃないんだし・・・なんてね。
でも、そんなの別にどうだっていいんです。
ファンタジー大いに結構じゃないですかね。
何が現実か。何がその人にとっての真実か。
それが他の誰にわかるというのか。
自分が何者かを知るというのは、
自分の中のファンタジーを受け入れる、大切にするってことでもあると思うのです。
そしてもうひとつ大切なのは、
望めばそれはいつも自分のそばにあるということ。
こうしていま、キーボードを叩いているこの瞬間にも
望めばいつも、あのお花畑にいられるのだと
そんな風に思っています。
【次回アデプトプログラム日程】
5月20日(土)-21日(日)に開催いたします。(空席あり)
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ご希望により1名様より随時開催します。
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