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泣けないあなたへ

2016.09.07 水曜日

何年か前に書いた文章なのですが、
何故か今、必要としている方がおられる気がして
再度掲載します。

 

子どもの頃、怖れていたことがあった。
それは、いつか親や兄弟が亡くなったとき
自分は涙を流すことができないのではないだろうか
ということだった。
それどころかホッとしてしまうのではなかろうかということ。
そういう不安を感じていた。
家族で暮らす中しんどいことが多かったので。

 

自分の親が亡くなった時悲しんだり涙を流したりするのは
ひととして至極当然のことだろうと
その頃子どもだったわたしは思っていた。
それができないということは、なんて言うか・・・
人でなし? 人非人? そんな感じ。
自分にはそんなひどく薄情な面、冷酷な面が確かにあるような気がしていた。
自分で自分が心底おそろしかった。

 

わたしをものすごく可愛がってくれた祖父が亡くなった時、
わたしは一滴の涙もこぼさなかった。
別に悲しくなかったのだ。

祖父に対して「お疲れさまでした」という気持ちがあるだけだった。
亡くなった年齢が98歳だったというせいもあるかもしれないし、
亡くなる前は、わたしだけが毎日のように
病院に通っていたせいもあるかもしれない。

死?それがどうしたんだ?という気持ち。

ちなみにわたしは小学生のころから常に、
いつ死んでもいいや。
明日死んでもどおってことないなぁ…という風に思っていた。
そういいながらも、
ある日頭上から看板が降ってきて唐突に死ぬような死に方は避けたいなぁとか、
誰かわたしよりもっと切実に生きたいと思っている人の代わりに死にたいなぁ
無駄死はいやだなぁとか思っていた。勝手なものだ。
まぁそれはともかくとして

 

祖父の死に際して一滴の涙もこぼさなかったわたしは、
しかしもう子どもの頃のような不安、
自分が冷血漢であるというような思いは持たなかった。
きっと違う時に違う形で泣くのだろう。それでいいのだと思った。
いま泣けないわたしの代わりに
誰かがどこかで涙を流してくれている。
そして、わたしがいつか流す涙は、
どこかで泣けない見知らぬ誰かの代わりに流されるのだと。

そして確信した。
これから先わたしは父が亡くなろうとも母が亡くなろうとも、
そう、身内が亡くなったときには涙を流すことはないのだろうと。

 

そして、果たして母が亡くなったとき、
思った通り一滴の涙も湧いてこなかった。
人々は皆わたしを、気丈にふるまっていると言ったが、
わたしは本当にただ普通にしていただけなのだ。
悲しくはなかった。
これでわたしのやるべきことがひとつ、
人生における母との関係というものが終わった。
わたしはしっかりやり尽くすことができただろうか?
出来る限りのことはしたつもりだけれど。
という思いがあった。

 

そしていま、あれから半年。
もしかしてみんなが言うように、何かの折に
母の亡くなったことで何かしら悲しみを
寂しさを感じるようなことがあるのかもしれない
という微かな期待もむなしく?なんともない。
もう終わったことなのだ。
なんていうか、見ていたテレビ番組が終わったみたいに。
終了しました。It’s done.

あるひとが、それってお母さんに対して何の執着も持ってなかったってことでしょ。
すごいことだよ。精神的に自立してたってことだよね。と言ってくれた。
え・・・そうなのかな・・・自立?

 

やれやれ、それにしても、
ずいぶん遠いところまで来てしまったような気がする。
わたしはどこまで行くのだろう。

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